2012年03月16日
裕仁の罪―3 天皇位恥辱の罪・続
天皇制に終止符を打った罪 前稿で述べた通り、天皇裕仁が異人種、異教徒の敵将に従属した事により、この国には最早天皇と呼ぶに値する存在が無くなった。これは、この国に千年以上の長きに渡って受け継がれてきた天皇を頂点とする体制(天皇制)に終止符が打たれた事を意味する。 しかし生に執着し、地位に連綿とした裕仁に、この自覚があったかどうかは疑わしい。又裕仁個人を盲目的に崇拝してきたこの国の保守右翼も、裕仁個人と天皇位を冷静に客観視する事は出来なかった。裕仁が退位する事無く生存している限り、天皇も自動的に存在すると信じ込んでいた。天皇を取り巻く状況が全く変わったにも拘わらず。 結局裕仁本人の自覚が無いばかりか、周辺も天皇を取り巻く状況が変質した事を正しく分析する事は出来なかった。天皇と呼ぶに値する存在が無くなった以上、この国に受け継がれてきた天皇制は外国の圧力に屈する形で終わったのだが。 象徴天皇に横滑りした罪 この国の保守右翼は、現日本国憲法をGHQにより強制されたGHQ憲法と揶揄し否定する。全軍武装解除の後、外国の軍隊に全土を制圧され、国家主権を喪失した状態で導入された憲法である以上、私もこの認識は共有する。 しかし何故か、そのGHQ憲法第一章に規定された「象徴天皇」と言う地位を否定する保守右翼はめったにいない。憲法を否定するなら、それに規定された「象徴天皇」と言う破廉恥な地位も否定して当然なのに。 この国の保守右翼が不本意(?)ながら「象徴天皇」と言う破廉恥な地位を承認せざるを得ないのは、テンノオ裕仁が無批判、無反省にこの地位に横滑りしてしまったからだ。先に述べた通り、この国の保守右翼は、天皇と言う地位に敬意を払うと同時に、裕仁個人を崇拝してきた。個人崇拝である以上、裕仁と言う存在は無批判に肯定されて然るべき存在であり、その裕仁の行動が批判の対象となる事など有り得ない。従って象徴天皇に横滑りした裕仁の軽率な行動が、批判に晒される事無く現在に至っている。 結局裕仁個人を崇拝した事により、この国の保守右翼は思考停止したままなのだ。尊崇対象(裕仁)が敵に寝返っても尚、「尊王=愛国」と信じ込んで、その個人を崇拝し続ける様は異様だ。北朝鮮にも見られる個人崇拝の恐ろしさ、おぞましさを此処に見る。 次回、「身代わりを立てて延命を謀った罪」に続く
Posted by fqelgzflcg at 06:01│Comments(0)